09/01
地理で覚えた首都名が役にたった日

おそらく中学生の頃、世界の国々の位置と首都名を覚えたことであろう。
地理の先生が厳しく、徹底的に覚えた記憶があるが、
今、場所と首都名がきっちり答えられるかといわれると自信はない。
6割位であろうか?
正直、自分が渡航する国なら勝手に覚えられだろうし、
日常生活ではほぼ不要な知識と思っていた。

さて、先日、都内から電車に乗っていると、
色黒で明らかに外国人の若者が周囲に何かを尋ねていた。
日本語が上手くなく、何を言っているか正確に聞き取れず、
皆、必死で彼から逃げている状況。

4年後、この都市の市民はオリンピックで来日した外国人の方々に対応できるのだろうか・・・

と思っていると目が合った。
近づいて来て、同じようなことを言われたが意味不明。
で、得意ではないが英語で聞いてみた。
すると、驚いた顔で、自分の降りる駅は通り過ぎていないかと質問してきた。
まだ、通り過ぎていないことを伝えると安心した様子。
隣席の乗客が駅で降りたら、彼は私の横に座り話しかけてきた。

英会話の練習と思い、私も話すことにした。
その若者は都内の有名私立大に通う留学生で、日本に来て3週間であった。
まだ殆ど日本語は話せない。
出身はスリランカ。

さて、皆さん、スリランカの位置はすぐに出て来ますか?
インドの南東の島、いわゆるセイロン島を国土とする国である。

私がスリランカで思いつくネタはたった一つ。
長い首都名である。
スリジャヤワルダナプラコッテ
長過ぎて、完璧に覚えている。

そこで、「君の国の首都名は、なぜ、あんなに長いのだ?」
と聞いてみた。
すると、怖い位に目を輝かせ大喜び。

来日して3週間、
スリランカといっても国の場所すら知らない日本人が殆どであったのに、
あのややこしい首都名をスラスラと話す日本人は初めだったと思われる。
さらに、ちょうど私が地理で習った年の前年か前々年に、
コロンボからスリジャヤワルダナプラコッテに遷都されたと思えていたので、
「1985年か1984年にコロンボから首都が移動したでしょ?」
と伝えると、驚きまくる若者。

27~28年前に中学校の地理の授業で覚えたと伝えたが、
私の英語力の未熟さもあり、
27~8年前に私がスリランカの中学校に通っていたと誤解したところで目的の駅に到着。

最後に、「これからタイフーンが来るから気をつけろ」と教えて熱い握手をして別れた。

意味がないと思っていた首都名記憶が国際交流に役立った初のケースであった。

06/07
わたしがやりました

LKM博士のウィークデーブログ連続更新記録をストップさせた「ブラックにしの」です。

6/3(金)にブログアップするのをすっかり忘れてしまい、
日曜日の朝にこっそり日程を遡ってアップしてやり過ごそうとしたら、
バッチリ見つかってしまいました。
 LKM博士とブログファンの皆様の関係性を侮っておりました。
申し訳ございません
(以下、本ブログではLKM博士を私が普段呼んでいる「まっちゃん」と表記します)

まっちゃんにどう謝ろうかと色々思案し、
「多忙なまっちゃんの体を心配してわざとストップさせたんやで」
とか
「記録にこだわるより記憶に残るブログにしようぜ」
などの取ってつけた言い訳を思いつきましたが、
怒りの火に油を注ぐだけなんで、
素直に「堪忍や~、同期のよしみで許して~や」
と素直に謝る事でなんとかかんとか許しを得る事ができました。

というわけで、最後にファンの皆様にお願いですが、
このままだとまっちゃんに一生ネチネチいびられてしまうんで、
今回の事は目をつぶって頂き、
連続更新記録が続いている的なノリで、
これからもご愛顧を頂きたく是非宜しくお願いします。

09/28
単位の違いとうんちの尊さに戸惑いながら...(助手Aブログ)

久しぶりに助手Aです。
以前のブログにも書いてありますが、
この部署に異動になる前はプリンの商品開発に携わっていました。
仕事の内容は読んで字のごとく、新商品を開発するわけですが、
新製品の市場への投入は、大きく分けると一年で春と秋の二回あります。
その発売時期に間に合うように、マーケティング部門とコンセプトや商品設計を詰めていき、
製造に問題がないか、保存性に問題がないかを工場でのライン試作で検証していきます。

このライン試作というのが、プレッシャーのかかる仕事です。
というのも、一回のライン試作で作るプリンミックス(原材料を混ぜ合わせたもの)は
工場にもよりますが約2トン、
個数にすると20,000個から30,000個分くらいのプリンを作るからです。
原料費だけでも数十万円‼なんてことも。
安全な商品を安定的にお客様に提供するには必要なコストとはいえ、
何度も失敗できる金額ではありません。

一方、今の仕事は、マイクロは当たり前で、ピコ、ナノの世界です。
トンからナノまでは実に0が18個、18桁も小さいものを扱うので単位ボケすることも。
ただ、物理的な数字は小さくなっても、金額は反比例し1mlで十数万円する試薬もあり、
たった数滴でライン試作と同じ金額なんてことも多々あります。
まだ慣れないこともあり高価な試薬や酵素を使う時には結構緊張します。
プリンの設計も見た目以上に複雑で難しいのですが、
今の仕事はプリンの試作と違って目に見えないレベルでの反応であるため、
失敗した時もどこが間違っていたのか、
どこを改善すればいいのか見当をつけるのもなかなか難しい。

お金で買えるものならいいのですが(良くはないですが^^;)、
うんちはそうはいきません。
試験期間中のその被検個体のうんちは、その時だけのもの。
一期一会でまさにプライスレス。
特にうんち中の生きた微生物を見る場合は失敗できません。
まさかうんちを尊いと感じるようになるとは思ってもいませんでした・・・・ 
まだ、そこまで貴重な実験試料は扱っていないですが、
今後色々と貴重な資料も扱うことになると思うので
気を引き締めて臨んでいきたいと思います。

06/07
電車もマニアックです【助手Aブログ】

博士研修中につき、ピンチヒッター


とある仕事で弊社新群馬工場へ出張に行ってきました。
新群馬工場へは車を使い高速で行けば1時間足らずなのですが、
電車(正確には電車と気動車)に揺られて3時間の道程。
決して鉄道好きだからこのルートを選んだわけでなく、
なるべく公共交通機関を使うようにという会社の指針に従っただけです。はい。

それでは、どのようなルートか説明していきます。
家の最寄り駅の秋川駅から拝島駅までは武蔵五日市線のE233系に乗車。
八高線の電化区間である拝島から高麗川までは209系に、
高麗川から高崎までの非電化区間はキハ110系に乗車。
書き出しで正確には電車と気動車と書きましたが、このキハ110系が気動車です。
電気で走るのでは無くディーゼルエンジンを動力源としており、
鉄のタイヤで軌道の上を走るバスとイメージしてもらえれば分かりやすいかと。
ディーゼルなので音がうるさく不快に感じる方も多いかと思いますが、
エンジンを吹かし加速する力行と惰性走行が分かりやすく、
鉄道好きには楽しい音でした。

乗車時間が1時間半もあったので寝ようと思っていたのですが、
森林に川や湿地、田園風景と思いのほか景色も楽しくディーゼル音を聞きながら、
どんなカエルや魚がいるか思いを馳せているうちに高崎に着いてしまいました。
途中でキジを見かけるほどの長閑な風景で癒されました。

そして、高崎から伊勢崎までは両毛線で国鉄時代の絶滅危惧種115系湘南色に乗車。
115系は予期していなかったのでうれしい出会い、思わず写真を撮ってしまいました。
20120607.JPG

ずいぶん姿を見なくなりましたが、こんなところで生き残っていたんですね。
実家が静岡なので、115系と兄弟の113系は思い出深く、
この色と形は郷愁にかられます。
気動車にも115系にも乗ってのどかな風景を眺めながらの、
なかなかいい旅、失礼いい出張でした。

帰りは同じ仕事で前日入りしていた先輩とプリウスで帰社。
静かで、快適、あっという間の1時間でした。

05/10
私も魚捕り【助手Aブログ】

先日のブログに博士が「フナ捕獲」を書いていましたが、GWに私も子供と魚捕りに
行ってきました。
私、無類の魚とカエル好きです。
で、捕りに行った場所は多摩川と秋川の合流地点付近です。
捕れたのはタモロコ、カワムツの幼魚、オイカワの幼魚、ドジョウです。
正確には同じ場所ではなく本流でカワムツとオイカワを、
引き込まれた水路のほうでタモロコとドジョウを捕まえました。
数十メートルくらいしか離れていませんが、
水流の違い、食性の違いで生息が分かれているのでしょう。

20120510.JPG


タモロコとドジョウがいた水路の方にはトウキョウダルマガエルもいて、
カエル好きとしてはもちろん捕まえ、
上を向いたつぶらな瞳がかわいらしく連れて帰りたい衝動に駆られましたが
子供に見せた後にリリース。
飼育も大変ですし、カエルにとっては生殖の重要な時期ですからお帰りいただきました。

博士が捕りに行った水路もメダカが減っていたとのことですが、
私も実家の静岡に帰省した際、小さい頃にメダカを取った場所に
久しぶりに行きメダカっぽい魚影を捕ってみると外来種のカダヤシでした。
全国的にメダカが減ってきているのを肌で実感しました。

あと、博士の「体の横に線が入った魚」、は、画像で見る限りモツゴっぽいですね。
ちなみに、魚の縦と横は、泳いでいる時の姿ではなく、釣り上げた状態(口が上、尾が下)でこの魚の線は「縦」になるのです。
豆知識でした。

04/27
はじめまして、助手Aです

はじめまして。
4月から新たにLKM512研究のメンバーに加わりました助手Aです。
忍耐力と感性は、そこそこ自信がありますが、
昨日LKM博士が書いていた、研究者にとって重要な「運」があるかは微妙です。

実はLKM博士とは同じ大学の同じ学部出身でして、大先輩になります。
その博士は自他ともに認める晴れ男なのですが、私は真逆の雨男なんです。。。

LKM博士のつぶやきでご存知の方もいるかと思いますが、
前職場で開いていただいた花見も兼ねた送別会で、
宴が盛り上がり始めた一時間後に降雨。
天気予報では夜中から雨だったのですが、19:00に降らせてしまいました。
夜桜ライトアップや料理準備いただいた方々すいませんでした。
また、新たに移ったこの職場での歓迎会も、もちろん雨。
新婚旅行で行ったエジプトで雨だったんだから仕方がないです。
(紀元前2000年頃なら神になれたかも?)

ということで、今後、私が参加するイベントや学会は、雨の日が多くなると思います。
まずは直近のLKM512の日、5月12日の公開市民講座で雨を降らせないように頑張ります!

頑張ると雨が降りそうですが・・・

今日も雨ですが・・・・

07/12
「私の日常」

久しぶりに、助手Kです。

晴れの日も、雨の日も、風の日も、
雪が降ろうが、嵐が来ようが、
私は、ねずみウンコ菌DNAの配列を決定しています。

やっていることは、地味です。
しかし、
使っている装置は、派手です。

生研センターの委託研究費で導入した装置。
その額、数千万? ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!

使っている試薬も高く、
数か月分の試薬代だけで、
車が買えてしまいます。 ヾ(´・.・`。)ノ

そんな高級試薬と高級装置を使って、
ウンコ菌のDNA配列を決定しています。

こんな派手なものに囲まれていますが、
やっていることは、地味 ┌┤´д`├┐

毎日同じことの繰り返し。
これを1年間続けなければなりません。

地味でありますが、
「この仕事をやり遂げることができたら、
私も立派な人間になれるだろう。」

そう信じて、毎日仕事に打ち込んでいます ε=ε=(o・・)o

100701.JPG
これがDNAの配列を読む機械

02/02
蛇に睨まれた蛙②

助手Kです。
先週の続きです。

「いったい何なのだ?」
と思うと、
「毎日専業主婦の奥さんのために晩御飯を作っているか!」
と怒っておられるのです。
そうなんです。私は毎日、仕事から帰って晩御飯を作っているのです。
そのまま5分ほどお叱りを受けてしまいました(;-;)

でも、うれしかったのです。
なぜお叱りを受けたのか理由はわかりませんでしたが、辧野先生が私のために話してくれたのですから。

懇親会も楽しく閉会し、無事帰ることもできました。
閉会後は、LKM博士は2次会へと夜の帳の中へ消え去り、
私は妻のために晩ご飯を作りにおうちに帰りました。

しかし、その日、妻はまだ帰っていなかったのです・・・(;-;)

01/29
蛇に睨まれた蛙①

お久しぶりです。助手Kです。
昨年末、生研センターの研究進捗報告会で、理化学研究所の辧野特別研究室にいきました。
辧野先生はテレビ・雑誌など各種メディアでたびたび取り上げられている有名な先生です。
このブログにも100回記念に登場していただきました(2009年8月26、27日)。

このような有名な先生に会えるうれしさ反面、
恐ろしいほどの酒豪であるという恐怖の伝説をLKM博士から聞き若干びびっていました。

報告会の後、共同研究者が集まり研究の情報交換もかねて、懇親会が行われました。
会場に行くと辧野先生が席についており、私に手招きをしながら、隣の席を指差し
「K君、今日はここや。帰さへんで~」
とおっしゃるのです。

「!!!」

この言葉に、私の心は蛇に睨まれた蛙のように縮こまっていました。

参加者が続々と到着し辧野先生の前に座ったのは、協同乳業研究所の所長、その隣には共同研究をしている京都工繊大学の教授が座られました。
すると、
「私の隣はK君じゃなくてLKM博士の方が良いな」
との辧野先生がおっしゃり、結局、私は別席に座ることになったのです。

その瞬間「帰さへんで~」の言葉で縮こまってしまった私の蛙の心は大きく跳ね上がり、両手を広げて伸び上がったのでした。

懇親会も始まり、辧野先生とは別の机で、世界で活躍されている共同研究者の方々の、アメリカ留学の話などを楽しく聞いていると、
「K君それはいかんよ~。」
と私に向かって隣の机から辧野先生が真顔で言っているのです。

いったい何なのだ!

続きは来週

09/08
LKM博士に助手登場!その名もK

はじめまして。

人事異動によりLKM博士のアシスタント研究員をすることになったKです。

LKM博士の「ウンコ研究」が
「イノベーション創出基礎的研究推進事業の発展型研究」に採用されたことから、
アシスタントの研究員が必要になり、私に白羽の矢が当たりました。

私にとって「ウンコ研究」は雲の上のような仕事であり、
人事異動は晴天の霹靂のような出来事でした。

この晴天の霹靂の人事異動により、
将来の私の人生計画の中になかった「ウンコ研究」の章が
私の人生のドラマに描かれることになったのです。

異動して半月、「ウンコ研究の第一章幕開け」とも言える出来事がありました。

自分のウンコを培養してみたらとのLKM博士の指令により、
私のウンコ菌たちが培養されてしまったのです。

培養されること数日、シャーレには私のウンコ菌たちが元気に成育していました。
わが子を見守る気持ちでシャーレを眺めていると、LKM博士が登場し、

「くっさいなー。ワシのウンコ菌をにおってみー。」と一言

私は恐る恐るLKM博士のウンコ菌をにおってみました。

さすが、LKM博士です!

私のウンコ菌の匂いが「汚水」のようなものだとすると、
博士のウンコ菌の匂いは「芳醇なチーズ」。甘酸っぱく、高級な香りでした。

同じ人間なのにこれほどまでに違うものなのかと思うほどの衝撃でした!

私のウンコ菌の匂いがLKM博士のようになる日を夢見て
「ウンコ研究」にいそしんでいきますので、よろしくお願いします。