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協同乳業研究所

08/15
鉄オヤジ元研究所長、列車のトイレの歴史を語る(前半)

お久しぶりです。
昨年、鉄オヤジ研究所長としてこのブログに登場しました安藤です。
実は、6月末に異動になりましたので、現在は鉄オヤジ元研究所長ですかね。

昭和39年10月。この月に何があったのか、何が脳裏に浮かぶでしょうか?
当然その時に生まれていなかったり、物心がついていなければ何も浮かばないと思いますが、東京オリンピックが開催された月です。
でも鉄オヤジを自認している身として回答すれば、
「夢の超特急、東海道新幹線開業」と答えることになります。

大震災で話題にすら出来なくなっていましたが、今年3月に青森から鹿児島までが新幹線のレールで繋がりました。
実に47年近くの年月を必要としたわけです。
こんな話題ではこのブログネタとしては面白くないので、ここからは本当のネタを。

実はこの時期は列車(電車)のトイレの大変革が始まった時でもあるのです。

※列車(電車)と書いてありますが、列車は電気機関車やディーゼル機関車、蒸気機関車が客車(無動力)を引いて走る全体を指し、電車は自ら架線から電力供給を受けモーターを動かして自ら動く編成単位を指し、鉄チャン的にはぜんぜん違うものです。
念のため。
ちなみに新幹線は電車の仲間です。

新幹線には日本の鉄道でほぼ初めてタンク式のトイレが採用され、
従来の列車のトイレが海外でも垂れ流しがほとんどであった時代にとても画期的なことでした。

当時の在来線列車のトイレは、
実は乗客の排泄物をそのまま車両の下に巻き散らす構造になっており、
排泄物は走行するスピードで粉砕され、沿線に飛沫となって飛んでいたわけです。

長距離移動に夜行列車が多く利用されていた当時、
朝、列車が終着駅に近づくにつれ便意を感じてきた乗客で列車のトイレが混雑するわけですが、
必然的に東海道本線、東北本線などの長距離夜行列車が多かった線区の終着駅の少し手前の沿線は毎朝
"大黄害"(排泄物の色からこのように表現されていました)
に見舞われ、
洗濯物に飛沫が付着することなどは日常茶飯事だったようです。

現在の衛生感覚からは想像も出来ませんね。
乗客の中にノロウイルスなどの感染者はいなかったのか、今でも気になります。

つづく

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